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ユダヤ教の話し 聖典編

ユダヤ教とは、ユダヤ民族の生活を根本から規定している独特な考え方・生き方そのものです。

ユダヤ教の歴史を振り返ってみた時、ユダヤ人の故郷への想いや、“生きる”ということについてどれだけ深い考察を続けてきたのか思いあまるものがあります。

ユダヤ教の中心になるのは、モーセを通して彼らに示されたという「律法」(トーラー)ですが、それは成分化され、いわゆる旧約聖書の最初の5冊『モーセの五書』となっています。

『モーセの五書』とは、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記からなる書です。

  1. 創世記:天地創造と原初の人類、太祖たちの物語、ヨセフの物語から成り立っています。
  2. 出エジプト記:エジプト脱出とシナイ山での契約が2つの大きなテーマになっています。
  3. レビ記:大部分が律法の種々の細則となっています。
  4. 民数記:イスラエルの民の人口調査に関する記述があります。
  5. 申命記:死を前にしたモーセが民に対して行った3つの説話をまとめたものです。

ユダヤ人は、この古い律法をそれぞれの時代に適用するにあたって解釈や注釈を加えてきました。

その集大成が『タルムード』(「偉大な研究」の意)です。

タルムードは膨大なもので、全20巻、12000頁からなるユダヤ人の知恵の集大成なのです。

ユダヤ人が今日に至るまで、日毎の生活のあらゆる面において絶えず教えられ導かれ慰められ戒められているのが、まさにこの『タルムード』です。

しかし、必ずしもすべてのユダヤ教徒がタルムードの権威を認めているわけではなく、認めていない宗派もありますが、「ユダヤ人がタルムードを守ってきたよりも、はるかにタルムードがユダヤ民族を守ってきたといえる」とも言われており、実際、ユダヤ人が歴史を通じて他に抜きんじて学問があり、道徳的に高い生活を続けてきたのは、民全体が常にタルムードを学び続けてきたことが大きな要因であると言えそうです。

ユダヤ教は、「・・・を信ぜよ、そうすれば救われる」というふうには考えません。

そうではなく、万人のために示された律法に促されて、またタルムードの知恵に耳を傾けながら、自分の理性と意志をできるかぎり用いて、正義と公正にもとづく平安を求めて、正しく行動せよ、と進めるのです。

ユダヤ教では、人が神に問われるのは、“何を信じたか”ではなく、“何をしたか”です。

ユダヤ人は、民族としてそういう風に生きるよう促されてきており、それが正しいことであり満足と希望を与えているから、そのように生きようとするだけなのです。

「目には目を、歯には歯を」という有名な言葉があります。

これは普通、復讐の原理と誤解されていますが(キリスト教側の解釈『マタイによる福音書』5章38節)、この表現は本来、出エジプト記の『契約の書』の中に出てくるもので、そこでは、身ごもった女を撃って流産させ害を加えたときには、「命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足・・・をもって償わなければならない」とあり、また人が債務奴隷の目や1本の歯を撃ったなら、償いとして解放しなければならないとあり、本来、正義と公正のための償いの行為として示されているものなのです。

つまり、相手に対して報復を加えることではなく、自らの悪しき行為に対して自らに加える主体的な償いの行為のすすめなのであり、重大な誤解といえます。

律法の書においては最後に、律法が与えられた究極の目的として、「あなたは、あなたの神、主の前に礼拝し、あなたの神、主があなたとあなたの家とに賜ったすべての良い物をもって、レビ人およびあなたのなかにいる寄留の他国人と共に喜び楽しまなければならない」(『申命記』26章11節)と述べられています。

来世での浄福や救いではなく、この地上での現実的な平和と楽しい共同の生こそが律法の目的なのです。

「喜び楽しまなければならない」という表現は、ヘブライ語法では、「そうすることは本来可能なのだ、だからそのようにせよ」との意だそうです。

長く迫害を受けてきた悲しい歴史を持つユダヤ民族ですが、他のあらゆる民族にも増してジョークを愛する人たちであると言われています。

そんな彼らから、私たちは多くのことを学ばせてもらえそうです。

ちなみにキリスト教はユダヤ教の一宗派として誕生しており、イスラム教はユダヤ教やキリスト教の影響を受けて成立しました。この3宗教は、唯一神信仰を持ち、聖典の一部を共有しているため、類縁関係を強調されることがあります。

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