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生命の樹 -エデンの園-

生命の樹は、旧約聖書の創世記に登場する木です。

エデンの園の中央に植えられた2本の木のうちの1本で、もう1本がアダムとイブが食べた実として有名な「知恵の樹」です。

主なる神ヤハウェは、アダムとイブに知恵の樹の実を食べることを禁じていましたが、人間を神に背かせようとする蛇にそそのかされて、初めにイブが、その次にイブの勧めでアダムが知恵の樹の実を食べてしまいました。

善悪の知識を得たアダムとイブは裸の姿を恥ずかしいと思うようになり、イチジクの葉をあわせて身にまといます。

それによって神は事の次第を知り、神の命令に逆らい実を食べた罰として2人は主なる神との親しい交わりを失い、永遠の生命を失い、自然との完全な調和も失ってしまいました。

さらに、生命の樹の実を食べることを恐れた神は、2人をエデンの園から追放します(失楽園)。

ユダヤの伝承では、「知恵の樹」と「生命の樹」の両方の実を手に入れると、神と等しい存在になるとされているのです。

神秘思想カバラでは、生命の樹は「セフィロトの樹」と呼ばれ、さまざまな解釈がなされて重要な中核概念になっています。

そのほか近代西洋魔術でも用いられ、生命の樹をタロットカードと結びつける研究も行われています。

それでは、カバラにおける「セフィロトの樹」の概念とはいったいどのようなものなのでしょうか。

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マメ知識 ~アダムとイブに見るユダヤ教の考え方~
キリスト教徒によると、アダムとイブが犯した罪は原罪とされますが、ユダヤ教徒には「原罪」というものは存在しません。

原罪とは、人類の始祖であるアダムとイブが最初に犯したとされる罪であり、その罪が人間の本性を損ね、あるいは変えてしまったため、以来人間は神の救い・助けなしには克服し得ない罪への傾きを持つことになったという、キリスト教の多くの教派において共有される思想です。ただし、原罪の理解は教派によって大きな差があり、中には原罪という概念を持たない教派もあります。

改革派ユダヤ教徒や正統派ユダヤ教徒は、この物語においてイヴの唯一の罪は神の言葉に従わなかったことであると考えます。さらに創世記の記述からアダムはイブの行動を制止していないことが明らかであるため、イヴだけを責めるのはおかしいとも考えます。

また、アダムとイヴが楽園を追放されたことは、つまり通常の人間の生活を送るようになったということであり、言い換えれば「家を出て」成長し、責任ある人間として生きるようになったということです。

もし木の実を食べなければ、アダムとイブは決して自由意志で生きることはなかったでしょう。

ユダヤ教では、神は人間に対して常に「選択の自由」を与える方であるとみなされています。

エデンの園でのアダムとイヴはロボットのようなもので、彼らは木の実を食べて追放されることで初めて自由意志を行使した人間になりました。

神はこれを望んでいたのだ、というのが改革派とユダヤ教正統派によるこの物語の理解なのです。

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