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ユダヤ教の話し 歴史編

カバラという神秘思想を生んだユダヤ教とは、いったいどのような歴史を持つのか、その成り立ちを探ってみたいと思います。

紀元前1280年頃、モーセがヘブル人(民族・人種ではなく、社会的下層の人々を示す)を中心とした集団をエジプトから脱出させ(出エジプト)、シナイ山で神ヤハウェと契約を結びました(十戒、律法)。

※モーセは、ユダヤ教だけでなくイスラム教、キリスト教など他の多くの宗教において、もっとも重要な預言者の一人とされている古代イスラエルの民族指導者です。伝統的には、旧約聖書のモーセ五書(トーラー)の著者であるとされてきました(現在は否定説あり)。

エジプト脱出の際、追ってくるエジプト人から逃れるため、モーセが手をかざして紅海を真っぷたつに裂き、道をつくったという伝説があります。

神はモーセにシナイ山の上で「神を表す文字」22文字を見せ、それはイスラエルの人々にとって初めての独自の文字であると同時に数字となりました。これがヘブライ文字です。

民を率いて脱出したモーセは40年にわたって荒野を彷徨いましたが、神から与えられた「約束の地」と信じるカナン(パレスチナ)を目前にして世を去ったと言われています。(没年齢120歳!)

その後、イスラエルの民がカナンに定着後の約200年間、12部族からなるイスラエル民族が繁栄し、王は神ヤハウェとして人間の王を立てずに、平等な社会を形成しました。

紀元前1020年頃イスラエル王国が成立し、約400年間は外部からの防衛上必要悪として王を立てましたが、平等な関係が崩壊し、支配・被支配の構造が作られ、預言者による王への批判が起こり、その後ユダ王国が成立し、南北に分立します。

北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ、紀元前587年には南のユダ王国が新バビロニアの侵攻により滅亡、多くの人民がバビロンに捕囚されます。それから約50年間は、政治・宗教のエリート層の全員が捕囚され異郷の地バビロニアで生活を強いられ、王国もなく、神殿もない状況に置かれました。

この中で今までのイスラエル民族の歩みを根本から捉え直され、民族神・神ヤハウェに対する深刻な葛藤・省察の後に、国はなくてもユダヤ教団として生きる道を選び、大胆な宗教変更・改革が行われました。

バビロニアという圧倒的な政治・経済を誇る異教の地の下にも拘わらずそれに飲み込まれずに、神ヤハウェの再理解、神との再度の関係修復を実現し、イスラエル民族のアイデンティティを確立したのです。

創世記の天地創造物語はこの時代に著述されました。これが「神ヤハウェが、この世界を創造した神であり、唯一神である」と理解し直されたユダヤ教です。

紀元前539年、捕囚されていたユダ王国の人々がユダヤ(イスラエル12部族の一つユダ族の居住していた地方の名のこと)に帰還しました。

しかし、政治運動であるユダヤ王朝の復興は禁止されたままであったため断念し、捕囚期の宗教改革を受けたヤハウェ宗教の下で「エルサレム神殿の儀礼」と「神ヤハウェの教えである律法の遵守」を2本の柱とするユダヤ教団を発展させました。

しかし、パレスチナの政情は安定せず、ユダヤ人は各地に追われ「離散の民」となるのです。

紀元70年と135年にはローマに対して2度の独立戦争を挑みましたが鎮圧され、エルサレム神殿は徹底的に破壊され、厳しい民族的弾圧を受けることになりました。

その後、四散したユダヤ人たちは、中世、近世においても、ヨーロッパ各地において、「キリスト殺し」の罪を背負わされるなどして迫害を受けます。

移住を歓迎される時期もありましたが、長い間ユダヤ人への迫害は続き、大火、疫病、異端を始め、内乱や宮廷内の争いまでユダヤ人のせいにされ虐殺と略奪がくり返されました。

その後も近代まで続いた迫害の歴史を持つユダヤ人は、20世紀に至るまで自分たちの国を持つことができなかったのです。

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